環境や価値観が違っても家族

育った環境や価値観が違いすぎると家族で一緒に暮らすことが難しいこともあります。
大事なのは困ったときや大変な時に力になれるように関わりを途絶えさせないこと。
私が母として長女と関わってきた16年が誰かの励ましになればと思います。

茨城在住ー綾の母インタビュー

目次

再婚で娘の母親になった

綾と会ったのは中学校2年生の時です。
3人の連れ子と、私自身も1人子どもを連れての再婚でした。

綾は長女で、最初の印象はおっとりした子。
色々と話しをするうちに、いじめにあっていることを知りました。

自転車を隠されたり、壊されたり・・・
髪の毛はボサボサで、制服はシワだらけ、例えば生理の時に白いスカートをはいて血液で汚れていても気にしない、生理用品なども片付けられないなど多感な中学生の女の子にとって目につく子だったのかもしれません。

一般的なキャピキャピしたような女子とは合わなかったんでしょうね。

母親が長らく不在だったのもあり、身なりがあまりきれいでなかったのを「自分の時はそうじゃなかったけど、そんなもんなのかなぁ」と思いながら、身支度から始まった子育てでした。

勉強の方は数学が良くできて、科学部の部長をやったりしていました。非常に真面目。
理数系が得意な真面目な男の子や校長先生、他先生方とは非常に仲が良く遊んでいました(笑

私立で一芸に秀でれば入れる女子校があり、数学が得意だったのでそこへ進学することができました。

もともと真面目な子でしたが、指定があったら必ず守り「先生が言ってたから」と臨機応変ができない部分は相変わらず。
周りの女の子との共通の話題や流行りの話ができなくていじめられることもありましたが、中学校よりは酷くなかったようです。

そう考えると、中学校は本当に辛かったのによく頑張って通っていたなと思います。
それというのも、学校は休んではいけないとか遅刻はいけないとか、そういったことを忠実に守っていたんですね。

相変わらず、掃除のおじさんや警備員さん、先生たちと仲がよく、放課後に花を植えたりしてました(笑
数学も好きで、食べることも好きだったので家政科などで栄養素を覚えたりも得意でした。

お作法など言われたことを言われたようにやるのはできるので、内申書は良かったですね。
大学はエスカレーター式で家政科の女子短大に進学が決まりました。

体調不良と診断

中学校からの様子を見てきて、周りとずれてるから集団生活に慣れるために寮に入った方がいいかもしれないということで、寮生活を決めました。

そこは2人一部屋だったんですが、相変わらず片付けや女の子らしくができなくて、いじめまではいかなくても嫌がられ始めて。
後に部屋替えとなって1人部屋に移動しました。

そこからしばらくたった夏休みの頃だったと思います。
「具合が悪い」と学校を休み始めることが増え、午前中起きられなくなってしまいました。

寮母さんからも「生活がちゃんとしてない」と注意され、スクールカウンセラーの方からも呼び出され「今のままだと2年生に上がれないでしょう」と。

追試を受けたりもしましたが、結局落ちてしまい留年。
「もうちょっとしっかりしなさいよ」と声をかけましたが、休み癖は治らず、次第に問題行動が出始めてきました。

自分に関心を持って欲しいような行動というんでしょうか。
1ヶ月に1回に自宅にかえってくると「帰りたくない」と言ったり、今までと様子が違うなということが見られました。

寮に戻っても、朝起きて顔を洗う、など1日のルーティンができなくて、大学の女の子たちだけでなく寮母さんにも嫌われ始めました。

カウンセラーの先生からは「統合失調症じゃないでしょうか?専門家を受診してください」と言われました。
心療内科を受診したところ「鬱じゃないか?」と診断があり、でも薬を飲むほどではないと。

でも本人は相変わらず「辛い」と言うし、カウンセラーの方に「ちょっと普通の状態ではないんじゃないかな。もしかして発達障害じゃないかな?」と言われてしまいました。

そこで、発達障害のテストが受けられる病院に行きたいと夫に言ったところ、夫は嫌がり大げんか(笑

私はある意味他人なところがあって冷静でいられたと思うんですが、自分の子だと余計に拒絶するか甘やかすかになってしまうのかなと。
母親だったら特に「自分が生んじゃったから」とか「自分の子じゃない」とか。
父親である夫でも受け入れられなくてそんな風だったので・・・

結果的に受診することができ、ADHD(アスペルガーも少しあるかも)と診断を受けました。
短大は中退、自宅に戻ってきました。

事業所に悩む日々

自宅にいながら、働くための事業所を探し始めました。
体調などもあって軽作業のできる就労継続支援B型のところへ決めました。

就労継続支援B型は、年齢や体力などの面で雇用契約を結んで働くことが困難な方が、軽作業などの就労訓練を行うことができる福祉サービスです。作業の対価である工賃をもらいながら、自分のペースで働くことができます。

引用元:就労継続支援B型とは?作業内容や工賃の額、対象者、利用手続きなどを解説します

綾はビーズやおりがみなども好きで手先が器用なのと、理解できることは習得が早い。
発達障害に理解のある職場でわかりやすく説明してくれたこともあって楽しく勤めていたのですが、だんだんに「もっと自分はできる」という気持ちが大きくなってきて。

「自分はできてるのにできてない人がいる、なのにお金が同じなのは納得行かない」と、担当者と話をして就労継続支援A型に移動しました。

発達障害の診断でも「言語能力が著しく低い」とあったんですが、目で見えるものはできても言葉の理解が難しいんです。
それを「こういうふうに言ったんだからわかるでしょ!」と言われてしまったり、溝ができてしまって。

結局全員からいじめが始まり、その頃体調を崩していて「疲れやすい」「風邪かも?」と病院に行ったんです。

そうしてA型に通い始めたんですが、ある時担当の人が変わってしまって。

変化に弱く発達障害に理解のない上司で、それまで仲良くしてたスタッフさんも上の人が綾を責めるとみんなも同調しはじめて・・・
洋服が汚いとか、中学校の頃にあったようないじめですね。

そこで、バセドゥ病が発見されました。

バセドウ病は、甲状腺ホルモンの分泌が過剰になる「甲状腺機能亢進症」の1つです。
発症の男女比は「男性1:女性5~6」と、比較的女性に多く見られる病気です。
眼球突出がよく知られている症状かと思われますが、その他にも動悸や多汗、手の震え、体重減少、イライラなど、日常生活での心と身体の状態に支障をきたすさまざまな症状を引き起こします。治療せずに放置していると、重症化するケースも見られます。

引用元:岩崎内科クリニック

幸いバセドゥ病は軽いものだったんですが一ヶ月後に左靭帯(膜と膜の間にできて潤滑油が腐食する?)の腫瘍が見つかって。
同じ病院で診てもらってたんですが「うちでは見れない」ということで大学病院に転院して手術をしました。

ここでもちょっと難しい問題に直面しまして、バセドゥ病の薬と腫瘍の薬は一緒に服用できないんですね。
例えばそういう事を、先生からの言葉をメモ書きにして綾に説明をしたり、綾はADHDというのもあって自分の症状を先生に上手く伝えられないので私が聞き取って通訳したり・・・

そんなやりとりがあって、普通であればすぐ手術できたところが10ヶ月待ちでやっと手術までたどり着けました。

理解のある人との出会い

体調が悪かった時は大変でした。
「鬱なの?バセドゥなの?」って不安定になったりパニックになったり、自信もなくしてしまって家で落ち込んでしまって。

無事に退院してから作業所に戻ったんですが、A型のところは割と歩いたりといった動作もあるんですね。
手術の後はどうしても作業が遅くなってしまって、それを「早く歩けるでしょ」と言われたり、作業所から自宅に直接非難の電話がかかってきたり・・・

様々な対応をしていた私もかなり疲弊していました。
綾もストレスから抜毛症が酷くなったりして、精神内科の先生から「もうそこはやめた方がいいですよ」と。

「抜毛症とは、繰り返し自身の毛髪を抜き、さまざまな程度の脱毛状態に至る慢性疾患です。衝動や思考を制御するために意図的に行う自覚型と、何かをしているときについ行ってしまう無意識型、二つの型があります。さまざまな要因が関わっており、原因不明なケースも多いのですが、4分の1以上はストレス状況と関連していると言われています」

引用元:まゆ毛やまつ毛、髪を抜く原因はストレス? 子どもの「抜毛症」を正しく知る

別の就労継続支援A型に移動してから現在に至るのですが、ここは担当の方がとても良い方で綾にとってよい出会いとなりました。

自分が興味があることに関われて、最初は今までのこともあり対人の仕事も難しかったのですが自信が出てきて、様々な作業に挑戦しているらしく笑顔が戻ってきています。

ここ半年くらいは愚痴もなく、今は離れて暮らしていますが帰ってくることもなく、仕事に楽しく取り組めているようで。
それが本当に良かったなと思っています。

3人と1人の子を連れての再婚でしたが、それぞれの育ってきた環境があまりに違いすぎて同じ家で暮らすことが難しくて上手く行かなくて。
最初の頃は夫の家と、私の実家と、子どもたちもそれぞれに暮らしていて二重生活で行ったり来たりしていました。

今は、綾と妹は二人でアパートぐらし、弟は都内でひとり暮らし。
おばあちゃんと長男が暮らし、私と夫は二人暮らし。

住まいは離れていますが、それが今の家族にとっての過ごしやすい状態なんです。

10年以上かけて伝えてきたこと

私が子供の頃は片親で母が忙しく働いていて、弟と留守番をすることがほとんどでした。
小学校の頃にはご飯が作れていて、自分のことは自分でやっていて。

それでも打たれ弱いところがあって、当時は親の離婚が珍しくていじめられて登校拒否をしていた時期もあったんですが、そんな時にクラスの知的障害の男の子が毎日お花を持って迎えに来てくれたんですよ。

「一緒に行こうよ」って。

それもあって、高校の頃には絵本作家や保母さんになりたいと思っていて、児童教育の専門学校に進みました。

私が子育ての中で綾に特に言っていたのは「女性なので身だしなみは小綺麗に」ということでした。
それは自分も母親から口酸っぱく言われていたというのと、やはり生活の乱れにつながるので中学2年生の頃から会うたびに細かく伝えていましたね。

「ハンカチ持ってる?」とか「髪の毛ボサボサだよ」とか。

特性との付き合い方

綾は発達障害の特性なのか考え方が非常に純粋で素直で、無垢なんです。
年相応の話し方では理解できないことがあるので、見た目や実年齢ではなく、小学校の5.6年生の子に話すようにするという意識を心がけてきました。

見た目がもう大人なのにそういう話し方をするというのは最初はすごく難しくて「あぁ、そうじゃない。子どもに話すように」と自分と折り合いをつけながら根気よく。

例えば片付けができないので「ものには住所があるんだよ」と場所を決めることや、玄関には忘れ物チェックを貼ったりですね。

毎日散歩にいっては「これはね」「こういう時はね」と具体的に伝えたり、目に見えるようにしたり、細かく優し言い方とか、理解するかな?という話し方は児童福祉の経験が役に立ちました。

また、綾は一回泣きはじまるとダンマリしてしまうところがあるんです。

言語能力が低いこともあって「なんでこんなことできないの?」という言い方だと綾が言葉にできなくてパニックになるだけなので。
泣き始めたらさらっと切り返して「はい、これで泣くのやめよう」の切り替えの練習ですね。

食べることが好きでご飯に貪欲なので「美味しいもの食べに行こう」と言ってみたり。
もう綾は30歳近いのですが、これは未だにあります(笑

切り替えで言うと、被害妄想が入ってしまうこともあって。
人のことをよく見ているので他人が気になるんですね。

「あの人はこう」とか「でも」とか。

眠れない、幻聴、感覚過敏「隣の人の声が聞こえる」「匂いが・・・」と言い始めるとおかしくなる前兆なので、場所を変えたり気分を変えたりできるように声掛けをします。

あるところはおませだったりプライド高かったり、人を見下すような言葉もでるのでアンバランスなところがあるんです。

綾ももう30歳になるので、彼氏ができたこともあるんですが彼氏にベッタリ夢中になってしまって。

優しくされると異性を好きになってしまうので気をつけてほしいとは思うんですが、そういう時は身なりを小綺麗にするようになっていたのでそれはいい影響だなと(笑

その彼とは別れてしまったんですが、まだ若いし今後新しい出会いもあると思うので。

いい人に巡り会えて、結婚や子どもに恵まれたら、子供に愛情を持って育ててほしいなって思います。
自分が発達障害だということを卑下しないでほしい。
自信を持って楽しく生きてほしいですね。

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