「普通と言われる子と比べなくても、実は大丈夫だよと伝えたい。悪いことさえしなければ、そのままのその子を可愛がればいいんです。宿題ができるかどうかよりも、その時、その年齢にしか見せない可愛らしさを一緒に楽しめばよかったなと思います」
茨城県在住ーKENJIの母インタビューー

おいたち
KENJIは二人兄弟の長男です。
下の子が生まれたのが2歳半くらいの時。
赤ちゃん返りが始まって「育てにくいな」と感じるようになりました。
それでも、長男だったので「こんなものなのかな」と、最初はそれほど気にしていませんでした。
小さい頃はショベルカーが大好きで、おもちゃのショベルカーでよく遊んでいました。
「ガーガー」という名前をつけてましたね。
ちょうど自宅の近くで工場建設の大規模な工事が行われていて、フェンス越しにショベルカーを見に行くのが日課でした。
重機が3つセットになったおもちゃも持っていましたが、いつもショベルカーばかり。
実際に乗れるタイプのおもちゃも、やっぱりショベルカーでした。
人見知りはしない子でしたが、こだわりの強さは小学校に入ってからはっきり現れてきました。
学校生活
小学校に入って、授業中にじっとしていられなかったり、前の席の子が気になってちょっかいを出してしまう。
ダメだよっていう行動が止められなくて、授業を妨害するようになってしまって。
先生に「やめなさい」と言われてもやめられなくて、先生から抱えられて止められることもありました。
その時に先生に言われたのは「お母さん、お子さん育てにくくないですか?」という一言でした。
既に私も困っていたので「育てにくいです」という話をして・・・

当時、熱性けいれんがあって経過を見るのに大学病院に3か月に1回通院していたのですが、そこで先生に相談してみたんです。
そしたら、「じゃあこれ、お母さんと先生と両方書いてください」って言われて、ADHDのチェックシートを渡されて。
その後WISCも受けたのですが「軽いんですけど、ちょっと自閉スペクトラム症(ASD)がありますね」と言われたんです。
発達障害という言葉もその時初めて聞いて。
「なんじゃそりゃ」と思って、知識が全く無かったので図書館に通って、発達障害に関連する本を読み漁りました。
学習障害、ディスレクシアがわかる
1年生の時は他の子も読み書きのペースがまちまちだったので、それほど気にしていなかったのですが。
KENJIは小学校2年生になっても漢字の読み書きが極端に苦手で、漢字も独特の書き方になっていました。
以前に発達障害について図書館で調べていた時に、学習障害についての記述があったのを思い出しました。
その時の知識と出ている症状が同じで「あれ、これはもしかして学習障害かも知れない」と。
熱性けいれんで定期受診している大学病院で「もしかしてうちの子、学習障害でしょうか?」と相談してみました。
検査をしてもらったところ、発達性ディスレクシアがあると分かりました。
それから、県外の専門機関に9年間ほど通い続けました。
18歳になるまでです。

中学2年〜3年くらいになって、ようやく人並みに読みができるようになりました。
分厚い本も自分で買ってきて読んだりしていましたね。
書くことはまだ苦手ですが、簡単な漢字は書けるようになりました。
あと、きれいな字を書くことができるようになりました。
特別支援学級という選択
小学校では、国語と算数は特別支援学級に通っていました。
その他は通常クラスを行き来する形で過ごしました。
最初、先生からは特別支援学級や通級などの詳しい説明がなかったのですが、自分から「特別支援学級に入れてほしい」と頼みました。
学習障害があることは分かっていたので、これはついていけないなと思って。
当時は今ほど入級に関して厳しくなくて「空きがあるからいいよ」と言ってもらえて。
3年生の途中から通い始め、4年生からは正式に在籍することになりました。
特別支援学級では、保育園の連絡帳みたいに、1週間の時間割に先生がコメントを書いてくれて。
「きょうはどこまでやりました」とか「どこまでできました」とかですね。
毎日のやり取りはそんな感じで、その学年での支援については4月に1回面談の時間がありました。
担任の先生・支援級の先生・親・本人の4人で「こんな感じで進めていきましょうか」みたいなのを話ししていました。

ただ、担任の先生は毎年変わってしまうんですよね。
なので、分かりやすいように1枚の紙に「ここが苦手でこうしてほしい」みたいな申し送りのような紙を私が作って渡していました。
KENJIはどうしても書くのが苦手なので、週に1回の漢字のテストで読みを多めにしてもらったり、計算テストの内容も少しKENJIに合わせて変えてもらえたりしました。
宿題で苦労していたときも、あまりに辛くなった時には「先生、助けて」と言って、面談の時間も設けてもらったりして。
先生と本人と話して「もしできない時はノートだけだしてくれてもいいよ」とか、KENJIは納得しないとやろうとしないところがあったので、何回か面談しながら「できるところまででいい」というのを合わせていました。
8人定員のクラスでしたが、実際には4人くらいだったので先生たちにも余裕があったのだと思います。
ただ、一度だけ、年配の男性の先生と支援の理解についてぶつかってしまったこともありました。
「そんなのできねぇ」って言われてしまって「じゃあ、私は何のために特別支援学級に入れているんですか!?」みたいな感じで喧嘩になって。
当時、隣に付属の公立幼稚園があって、過去に私が委員長をしていてお世話になった主任の先生に相談して、助けていただきました。
結局、教頭先生が調整してくれて、女性の先生のクラスに移りました。
友達との関わり
友達関係では、小学校時代は嫌がらせを受けることもありました。
もともと仲が良かった子なのですが、小学校3年生の時にリーダー争いみたいなもので喧嘩をしてしまって。
そこから嫌がらせをしてくるようになったんです。
例えば、他の友達がKENJIを誘いに来ても「こっちで遊ぼう」と言ってその子を独占してしまったり。
KENJIを一人ぼっちにさせるような嫌がらせです。
私のほうが心配になってしまって「お母さん出ていったほうがいい?」と聞いたら「相手にしてないから大丈夫」と。
「分かった。すごく困ったら言ってね。叩きのめすから」と言ったら「分かった。その時は言うよ」と。
先生も「結構辛辣なことされているけど、よく平気でいるなって思ってて」と心配してくれるくらいでしたが、本人は我関せずという感じで。
本を読んだりして、相手にしないようにしていたみたいです。
6年生までは単学級だったので、クラスメイトはずっと変わりませんでした。
でも、中学校では近隣の4校が一緒になって、その子とはようやくそこでクラスが別になりました。
コロナと不登校
中学校では国語、数学に英語が加わって3教科は特別支援学級に通っていました。
その中学校は、毎週クラス対抗で各教科の小テストをやる、というものがあったのですが、特に漢字テストが相当応えたらしくて。
自分ができないとクラスの足を引っ張ってしまうというプレッシャーから、読み書きが苦手で本当は配慮が必要なのにものすごく頑張ってしまったんですね。
結果、100点を取ってきたのですが「これが毎週続いたらもう、無理」と。
あと、こだわりの強さもあったので、下着の色は白とか髪の毛は耳にかからないようにとか、学ランの詰め襟の窮屈さだったり、部活動は自主的な活動と書かれているにも関わらず新しく作ることはできないなど、校則の中で納得できないことがたくさんありました。
そのうちに適応障害になってしまいました。
やっとの思いで頑張って登校してみても「みんなが自分を見て笑っているように見える」と泣きだして学校を怖がるようになって、朝起きられない日々が続いたりして・・・
そんな事が重なって、中学1年生の7月から不登校になりました。

今みたいにアプリもなかったので、毎日欠席の連絡をして。
週1回は溜まったプリントをもらって帰ってきたり、技術とか出られる授業だけ参加してましたね。
技術はラジオの組み立てとか、そういうのですね。
でも、何故か学校行事はよく参加してました。
修学旅行とか、普段一緒じゃない人とよく行けるなぁ、と思ったりして。
中学校2年生の頃には、ギガスクールが導入されてタブレットが配られました。
そこからは、朝の会だけオンラインで繋いでもらって出席していました。
登校が再開しても、朝の会だけオンラインというのは続いていて。
結局そのまま卒業を迎えました。
私は仕事で日中いなかったのですが、実父母と同居していたのでご飯を作ってくれたり、買い物に行くときに連れて行ってくれたりしてました。
家族としても色々心配することもあったと思います。
でも、「学校行ってほしい」とは言わず、そっとしておいてくれました。
言ったところで行かないし、揉め事が増えるだけだから、という感じなのかもしれません。
KENJIも、最初は人目を気にして外に出ようとはしなかったんですが、だんだん行っても大丈夫だなと思えてきたみたいです。
親の胸の内
その頃辛かったのは、他の子が学校に行く姿を見ることでした。

下の子も同時期に不登校になっていて、小学校と中学校どちらも行けない。
私は、少しでも学校に関わろうと思って自分で志願してPTAの会長や副会長をやっていたんですが、交通整理とかで他の子を見送ってから帰る時に「自分の子は学校にいないのに、なんでこんなことやってるんだろう」って感じたりして。
悲しいというか、虚しいというか。
他の子が羨ましいなって、胸の中に黒いものがもやもやしていくのを感じていました。
見たくない、見たくない。って思いながら。
通信制高校での学び
学習障害がわかって、小学校6年生くらいの頃から「普通の高校は無理だろうな」と思っていました。
当時は通信制の学校が少なくて、県立だと入学試験で筆記があったりしたので、書くのが少ない所が良いなと思ってたんです。
でも、いいなと思う学校は本校が県外だったり、スクーリングが泊まりになったりして厳しくて。
中学校2年生の時に、検討していた通信制高校の分校が近くできるというので面談をしたりして決めました。
家から車で10分、基本タブレットやオンラインでの学習です。
最初はVRコースにしたのですが入り方や使い方が分からなくて、どこにサポートをお願いしたらいいかも分からなくて。
2年生からはネットコースに変えました。
カリキュラムは年間で必要なものを決めて自分で進める形なので、最初に全部予定を組み立てて毎日の学習を進めていました。
元々、小さいときに夏休みの宿題を「こども手帳術」というやり方で進めていたんです。
付箋を使ってスケジュールを立てるやり方なんですが、その方法が頭の中に入っていたみたいで。

KENJIは、全体像が見えれば自分でできる子です。
期日まであと何日あるからこのぐらいずつやれば終わるな、みたいなものを組み立てて進めてましたね。
勉強の方は、例えば赤点を取っても、家に帰ってきて教科書を見ながら50点を取るまでGoogleフォームで入力して再テストをしたり。
そういった救済措置はありました。
テストも基本はタブレット入力なので、書くことがないのもよかったです。
ただ、ローマ字打ちが苦手だったのでひらがな入力にしたりして、自分で設定を変えてやっていました。
ちゃんとやれば単位を落とすっていうことはないので、3年間単位を落とすことなく卒業できました。
人との関わり
高校はガラッと周りの友達も変わって、しかもリアルで会うのが1年間で7日しかないんです。
3日間を2回やって、最後は認定試験で1日行くだけ。
普段はスラックで、部活動があったりもするんですが見る専門でした。
友だちになって遊びに行くとか、そういった機会がなかったですね。
唯一、一人だけ親の会を通じて知り合った人がいて。
市外に住んでいるんですが、別のイベントの時にも一緒になって話をするうちに気が合ったんだと思います。
しばらくしてから、向こうから「〇〇で遊ばない?」って声をかけてきてくれたことがありました。
また1年後くらいに、今度はうちに泊まりに来たいというので、スクーリングの最後の日に迎えに行って、家に泊まったりして。
それ以外は基本家にいるので、なるべくボランティアに誘ったりしていました。
とにかく、手が足りないよ!というのを聞いたら一緒にそこに行くみたいな。
ちょっとした社会勉強というか、年齢が違う人に合う機会を作るようにしていました。
自立を見守る
高校を卒業して、今はアルバイトをしたりしながらバリスタを目指して経験を積んでいます。
今はフリーターなので、近いうちに個人事業主の届け出を出そうかという話もしています。
ありがたいことに、イベントで呼んでくれる方が多くて、テントでの出店で頑張っています。
いずれは店を持ちたいという夢があるので、食品衛生の資格や運転免許などを取る予定です。

運転免許も筆記試験があるのですが、今は学科はオンラインなんですね。
スマホで受けてくださいという風になっていて、応急救護講習は教習所に行かないといけないんですが、ずいぶん受けやすくなったなと思いました。
教習本も全部漢字にふりがなが振ってあってびっくりしました。
ディスレクシアって、漢字が読めないっていうのはある意味外国人みたいなものなので、外国人にも読みやすいというのは便利なこともありますね。
ただ、教習手帳も全部スマホ管理なので全体像が見えにくいんです。
今日は学科をいくつこなすんだろう、教習はあと何時間乗ればいいんだろうというのが分からなくて。
KENJIは特に、全体が見えないと動けないというものがあるので、教習所の知り合いに聞いてカリキュラムの表を見せてもらったりしてました。
親としての距離感
今までは結構、私が先導して引っ張ったり背中を押したり、並んでああだこうだ言ったり先回りして動いてきたように思います。
でも、もう高校も卒業して自分の夢に向かって着実に歩いている。
先回りし続けてしまうと、自分で歩めなくなってしまうんじゃないかと思っていたんです。
そしたら「いきなり突き放されても困る」と言われました(笑
意外に自分が慌てていることに気が付きました。
突き放すって決めていたのに、いざやろうとしたらできない自分がいる。
つい、気になって手を焼いてしまうんですね。
今までこれだけ頑張ってきたから、なんだか急にさみしくなっちゃって。
「あ、これは空の巣症候群に似ているな」って思ったんです。
巣立ちされるのが悲しい、淋しいというのはありますね。
でも、そろそろ手は離さなくちゃなと思っているので「本人が助けてと言わない限りはそっと見守ろう」というスタンスでいようと。

うちでは朝ごはんは夫が作るのですが、昼過ぎに起きてきて食べることもあります。
寝る時間も夜中の1時になることもあります。
「ちょっと電気代かかるから早く寝てほしいな」なんて言ったりもしますが。
今はそんな感じの関わり方をしています。
ただ、どこに行くというのは知らないとちょっと怖いので、それは連絡してほしいというのはありますね。
今の「可愛さ」を大切に
子育ての中で、「普通の子」と比べてできないことを探して心配していたように思います。
他の子がすごく気になってしまう。
でも、実はあんまり気にしなくていいんですよね。
本当の悪いことをしなければ、そのままのその子をただ可愛がればいいんだって。
そのまま受け止めて、その時しか見れない仕草とか、その子らしさみたいなものを味わって楽しく過ごせばよかったなって思います。
小学生なら小学生の可愛らしさって、もうその時しか味わえない。
もちろん、大変なのは変わらないけど、一緒になって「わー!」ってやってたほうが良かったなというのはありますね。

宿題や勉強ができないっていうのは、小学校や中学校はあんまり関係ないかなって。
本人がやるって決めたらやるので。
こんなに読めなくて大丈夫かなとか、勉強できるのかなとか。
その子のやる気になるときがいつかは分からないけど、必要だと思えば勉強します。
KENJIがバリスタを目指そうと思ったのは、小学校の図書室にあった「コーヒーのひみつ」という本がきっかけです。
興味のあるものや、人との出会いから道が拓けることもあります。
その時々の出会いが、人生を大きく変える。
そのときの出逢いが 人生を根底から変えることがある よき出逢いを
相田みつを
好きなことよりも、やっていて苦じゃないことや自然にできること。
そういうものが、その子の道になっていくんだと思います。

